過去の週録

北三教会の週報では、牧師による「週録」のコーナーがあります。

ご覧になれない方もいらっしゃいますので、こちらで「週録」をお読みいただけるようにします。

過去の週報をここにアーカイブしていきます。最新の週録は、「〇/〇週録」のページからお読みください。


7月31日週録

 今日もキリスト教学校の日として礼拝を守ります。

 キリスト教諸学校はもともと教会の伝道の働きの中から生み出されたものですが、いまや大きく成長し、公教育の不可欠な一翼をになっています。洗礼も聖餐もおこなわない、その意味では教会ではありませんが、学校の諸行事を通して、あるいはチャペルの礼拝を通して、直接・間接に伝道がなされています。

 キリスト教ははじめてという子供たちがほとんど全部なので、責任は重いものがあります。教会には学校のために祈り、そこで働く人々を送り出す責任もあります。

 

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7月24日週録

 日本の中都市にはどこにも伝統あるキリスト教諸学校があり、仙台も例外ではない。明治10年から20年代初頭、明治憲法や教育勅語(1889-90年ごろ)発布以前の比較的自由な時代に盛んに伝道がなされ、学校がつくられたのである。

 東北学院も宮城学院も、尚絅学院も、その頃開学した。幼稚園や保育園あるいは社会福祉施設なども含め、キリストの名のもとに、連帯して歩む教会でありたいと思う。

 

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7月17日週録

 コロナがまた、しかも急激に流行りはじめた。気をつけたい。必要ならば役員会を開き、対策を立てる。

 こうしたなか、来週から、「キリスト教学校の日」として礼拝をささげることになる(724日~814日。87日は平和聖日としてもおぼえる)。今年も礼拝中心のことしかできないけれど、この間の神の導きと守りを祈りたい。81410時)は尚絅学院宗教主任の田所義郎先生に講壇をお願いしている。

 なおルカ福音書の説教は、今日と821日と、後2回で終わります。今後の予定は後日お知らせします。

 

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7月10日週録

 先週、日本アライアンス教団神学校で2コマ講義するため、広島に行った。この教団が、中四国を中心に伝道を展開し、時代の荒波の中で、宣教に真剣に取り組んでいるすがたに触れ、感銘を深くした。校長の畏友、田村牧師、そして私の駆け出しの大洲時代いらいお交わりをいただいている浜崎牧師への感謝の思いを少しでも表すことができたかも知れない。ここ5年、飛行機も新幹線も乗ることがなかったので、変わっていない世の中も、変わって見えた。

 

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7月3日週録

 聖書を読む会も、先々週から再開された。おそらく2月で中断しまっていた「詩編」を一緒に読むことができた。言葉に導かれて、言葉が生まれた詩人の思いの深みまで降りていく。それが読むということのたどる往(ゆ)く道とすれば、還(かえ)る道の行く先は私たちの言葉でなければならない。

 

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6月26日週録

 哲学者ユルゲン・ハーバーマスの「戦争と憤激」(世界7月号)という小論を読んで、戦争を巡り混迷するドイツの政治状況を知ると同時に、簡単な答えの出ないことを改めて感じて、少し滅入ってしまった。しかしその上で、われわれは、平和を祈るしかないこと、世界の、日本の教会がもっと平和の祈りの連帯を深めるべきこと、日本国憲法の平和主義に立った平和への道を放棄してはならないこと(かなり昔のことになったが、教団の憲法擁護の諸声明を想起したい)など、強く思ったことだった。沖縄慰霊の日から始まって、日本の暑い夏が近づいている。

 

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6月19日週録

 教会のコロナ対策を先週から少し緩和し、着席、賛美、など、一部を元に戻した。この週報にも(ホーム・ページにも)掲げてあるように、なお注意はおこたらないようにしたい。諸集会も祈祷会を皮切りに再開した。改めて思ったことは、祈祷会の大切さである。週の半ば、その週に与えられた御言葉を感謝し受けとめ、来たる週の礼拝のために祈る、また教会のため、会員のため、広く世界のために祈る、これからも祈祷会を大切にしたい。礼拝と祈祷会、教会の働きの両輪である。

 

 

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6月12日週録

 今日は教会暦では三位一体主日です。プロテスタントでは昔から信仰告白の日として大切にされてきたものです。堅信礼をこの日行う教会が多くあります。

 教団では、子どもの日・花の日です。やはり子どもの信仰のために祈る時です。同時に花の日です。今年も訪問はしませんが、皆さんに署名いただいたカードをお送りします(先週発送いたしました)。教会の歩みにとっては大切な日曜日です。

 

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6月5日週録

 先週は当教会の定期総会でした。多少の制約はあったものの、対面でおこなわれたこと感謝のことでした。御心を共に尋ね求めながら、教会の歩みを前進させていきたいと思います。

 今日は聖霊降臨祭(ペンテコステ)です。来週から三位一体主日になります。ルカがもう少しで終わるので、説教はいましばらくルカに集中します。諸集会の再開については今日の役員会で話し合います。コロナ明けが待ち遠しい。雨の季節です。先週の雹にはびっくりしました。健康に留意して過ごしたいと思います。

 

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5月29日週録

 教会暦では、先週526日が「昇天日」であった。復活節から数えて40日、イエスは地上の生涯を終え天に昇り、いまや神の右に坐して、われらを執り成しつつ、父なる神のご支配にあずかっておられる。

「主の昇天こそわが身の望み。主こそわがかしら われら主の肢体(えだ)。おののきさまよう われもいつの日か み国に昇らん」(讃美歌336、作詞ゾンネマン1630-70)。

 来週は聖霊降臨日です。

 

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5月22日週録

 521日にキリスト教書店の定時株主総会があり、今回はじめて出席した。これからの書店の運営について真摯な話し合いがなされ、文書伝道にかけた前店長の思いが、いろいろの形で引き継がれていくことを確信した。聖書にしても讃美歌にしても書店を通して手にしていることを、当たり前のことと考えてはならない。教会が、そして学校が一緒になってその良き働きにあずかるのである。

 

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5月15日週録

 先週、今年度はじめて、尚絅学院(中高)の朝の礼拝の奨励を担当した。礼拝堂に生徒の皆さんも、全員ではないけれど入り、少しずつ、もとに戻りつつあるようである。グランドからも声が聞こえるようになった。教会も、キリスト教学校と連携し、その役割を果たしていきたい。大げさに言えば、福音の教育にわれわれの国の将来はかかっているのではないか。尚絅は新しく女性の校長先生を迎えたらしく、とても清新な印象を受けた。

 

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5月8日週録

 先週(45)、東北教区総会が、山形学院をお借りして、2年ぶりに対面で行われた。途中、2020年から3年分の新しく教区に来た教師の紹介があったが、ずいぶん多くて、おどろいた。刻々変化しているということであろう。ただ会議の進行はまだ制約の多いもので、十分な意見交換がなされたとは言いがたかった。その中で平和を願う登米教会の信徒の方の祈りが印象深く残った。議長以下三役がすべて新しくなった。期待したいと思う。

 

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5月1日週録

 5月、明るい陽の光とともに緑あふれる季節がやってきた。コロナにもまだ注意しなければならないが、少しずつ教会の通常の活動を回復させていければいいと願う。

 「天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを 高く超えている」(今日のローズンゲン。イザヤ55:9)。 対応する新約は、「わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから、完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう」(コリント一、13:9-10)。

 

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4月24日週録

 『ここが変わった!「聖書協会共同訳」(旧約編)』(日本キリスト教団出版局)を編著者の大島力先生からご恵贈いただいた。2018年刊行の最新の翻訳聖書の、とくに「変わった」要点が記されている。現在、われわれが使用しているのは、1987年刊行の「新共同訳」。カトリック、プロテスタントの画期的な「共同訳」であったが、30年以上たって、変えてほしいところも目立ちはじめていた。

 今のところ、「聖書協会共同訳」を教会で採用するまでには至らないが、説教準備などでは、参照を欠かせない。信頼できる訳のように思う。使用する機会を増やしたい。

 

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4月17日週録

 主の復活の光と恵みが皆様の上に豊かにあるように祈ります。

「喜び祝え、わが心よ。悲しみは去り、陽は輝く。勝利の主は死ぬべき身を 神の国へ 導かれる」(讃美歌323番から。パウル・ゲルハルト作詞)。

 

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4月10日週録

 今日から受難週。今日はその開始日、いわゆる棕櫚の日曜日です。受難日祈祷会を2年振りに開催したいと思っています。福音書を読みます。「主のくるしみは わがためなり、われは死ぬべき つみびとなり、かかるわが身に かわりましし 主のみこころは いとかしこし」(54年版136  パウル・ゲルハルト作詞)。

 

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4月3日週録

 新しい年度が始まった。社会は大きく動きつつある。しかしコロナも戦争もおさまらない。不確かな不安な時代に入りつつある。われわれは世界と教会の主の確かさに立って歩みたい。「わたしの足どりを確かなものにしてください。どのような悪もわたしを支配しませんように」(詩編119:133)。

 

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3月27日週録

 今日は2021年度の最後の主日です。定期総会は、書面による審議、表決となります。異例のことで、コロナ禍だけでなく、今後こうしたことのないように願わざるをえません。意思疎通が十分できないうらみがあります。いましばらくのこととして、忍耐したいと思います。感謝と希望をもって新しい年度を迎えましょう。今日のローズンゲン、「貧しい者をしえたげる者はその造り主を侮る」(箴言14:31)。

 

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3月20日週録

 今日は受難節(レント)第三主日です。第三主日は、困難な歩みをなしつつある、われわれ、イエスに従う者たちが、十字架の恵にあずかることを思い起こす時とされています。

 今日のローズンゲンから、「わたしの涙をあなたの革袋にたくわえてください。これは皆あなたの書にしるされているではありませんか(詩編56:9 口語訳)。新約の応答聖句はマタイ5:4です。

 

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3月13日週録

 今日のローズンゲン、「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない」(詩編33:16)。詩人は、主の眼は「主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に」注がれると、つづける。ウクライナの平和のために、世界の教会の執り成しが、世界の人々の働きが聞き届けられるように、願うばかりである。

 

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3月6日週録

 ロシアのウクライナ侵攻の問題の暗い陰に隠れて、報道は多くなかったが、それでも今年も各地でカーニバルが行われたようである。それも終わり、先週から受難節に入っている。復活祭は四月十七日。今日の礼拝後、教団世界宣教 委員会の式文で、平和を求める祈りを捧げたい。「彼が私を呼び求めるとき、私は答えよう」(詩編91:15 今日の「日々の聖句」より)。

 

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2月27日週録

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に、驚きと怒りを禁じ得ない。一日も早い停戦と撤退、外交的・対話的解決の道へ戻ることを願う。古い話で恐縮だが、1968、「プラハの春」が旧ソ連の戦車で踏みにじられた歴史を思い出した。今回は、あれとは比較にならないほどの規模で同じことが起こった。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」。この傷が癒えるまで、回復まで、途方もない時間がかかるであろう。世界教会協議会(WCC)、ドイツ福音主義教会(EKD)、日本キリスト教協議会(NCC)、それぞれから出された声明、他をコピーしたので、どうぞ参考にしてください※教会内で配布

 

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2月20日週録

 カバンの中に一年以上も放り込んで、時々に取り出しては、読んでいた内村鑑三の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』(鈴木範久訳、岩波文庫)、ようやく先週、最終章に達した。28歳の内村は3年半に及ぶ(1885-89)アメリカ留学から帰国した。留学というより、それは、彼の言うように、「キリスト教国での修行」であった。たぶん再々読だけれど、鈴木氏の名訳で、はじめて読むような心地であった。

「私は主を見いだし、主はただちに主の戦場に赴けと命じたのです! これは武士の家に生まれた者の定めです。不平を言わず、ありがたく思いましょう」。いまにつながるいろんな問題を考えさせてくれる、若々しい名著。

 

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2月13日週録

 池澤夏樹さんの新聞小説『また会う日まで』を感銘深く読み終えた(朝日)。軍人であり、敬虔なクリスチャンであり、天文学者である、父方の祖母の兄の伝記。時代をどう生きたか、面白かった。新聞小説の熱心な読者ではないけれど、新しく始まった多和田葉子さんのものも、ベルリンを舞台にしていて、少し楽しみ。夢の中の話だが、天国に内申で推薦入学したみたい、というイメージに、早速笑ってしまった。

 

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2月6日週録

 季節とともに教会の暦も進んで行きます。今年のイースターは417です。そこから逆算して、受難節に入るのは32日(水)です。今日の日曜日から「受難節前主日」に入ります。

 説教予定は、受難節第一主日36日)、受難週(410日)、そして復活節は、今年は、新約の書簡からテキストを選択する予定です。それ以外の主日は、ルカによる福音書を、1927節まで続けます。それで、とくに意図してはじめたわけではなかったルカの学びは終わります。ただ、いよいよ佳境に入りつつあることは確かです。

 

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1月30日週録

 コロナ禍のただ中、しかし時間は確実に進み、今週、立春。早く春の日差しをあびたい。「聖書を読む会」(木曜日午前)はいま「詩編」をみんなで読んでいる。いくつかある創造の詩編(819104148)。詩人は、神の創造に思いをはせ、その大いなる恵みが、このちっぽけな自分にも及んでいることに驚き、賛美の声をあげる。「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」

 

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1月23日週録

 年末に南アフリカのツツ元大司教1931-2021が亡くなり、年が明け、11日には、韓国のチ・ミョングァン(池明観 1924-2022)先生が亡くなった。

 チ先生は軍事独裁政権を逃れ、来日後、TK生のペンネームで、70-80年代の韓国民主化闘争を、詳細にわれわれに伝えてくれたことは、ご存じのとおりである。話をお聞きする機会が何度かあったが、温厚で、大人の風貌は忘れられない。アルベルト・シュヴァイツァーの研究から神学の研究に入ったと言われたのが耳に残っている。

 

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1月16日週録

 新しい年、などと言っているうちに、いつもと変わらぬ日常を、われわれはすでに生きている。年末・年始の讃美歌はどの国も多くないのだが、ボンヘッファーの詩をもとにした讃美歌「善き力にわれかこまれ」(469)は、ドイツの讃美歌集(ルター派)では、「年の交替」に入っている。そんなことを考えながら、469番を、じっくり読んでみるのは、どうだろうか。

 

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1月9日週録

 1月2日、友人で同労の中村正俊牧師(上山教会)の訃報に接し、驚き、こころに穴のあいたようなさびしさをおぼえている。

 前夜式の原牧師(天童教会)の話で、中村さんが、短冊にして車のフロントガラスにも下げていたという「よ・い・か」のことを知った。いうまでもなく「いつも喜んでいなさい、祈りなさい、そして感謝しなさい」の頭文字を取ったものである。これならわれわれも忘れまい。

 井上良雄先生のこと、バルトのこと、あるいは信濃町のこと、そして昔々のこと、もっとしゃべりたかった。主にある交わりを感謝し、上山教会の上に、ご家族の上に、慰めと平安を祈ります。

 

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1月2日週録

 雪景色の中、新しい年2022年を迎えました。皆様の上に、恵みと平安を祈ります。

 『日々の聖句』(ローズンゲン)による「年の聖句」は、「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」(ヨハネによる福音書637節)です。この言葉を、私どもも受けとめて、伝道と奉仕において、共に主イエスに従って行くものでありたいと思います。

 

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12月26日週録

 クリスマス礼拝を豊かに守られたこと感謝です。新しい方々も、久しぶりの方々も、旧知の方も、多くの方が集ってくださいました。今年も何人かの会員を天にお送りし、地上は少しさびしくなったところでしたが、少しずつ再始動していきたいと思います。

 「全説教3」も用いられているようで、これも感謝のことです。

 来るべき新しい年、世界と教会の主キリスト・イエスの平和の支配が力強く証しされる年となるように、共に祈り、前進していきましょう。

 

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12月19日週録

 「まぶねのかたえに われは立ちて、受けたるたまもの ささげまつる。いのちの主イエスよ、わが身も心も とりて祝したまえ」(256番)。

 このパウル・ゲルハルト(1607-76)の讃美歌をはじめ、素晴らしいクリスマスの歌の数々、今年、少し大きな声で歌えるようになったのは、感謝のことである。希望をもって、来るべき新しい年も歩んでいきましょう。

 

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12月12日週録

 前回の入門講座や、先週の聖書を読む会でも、ある話題をきっかけに、教会と地域との関わりが話し合われた。

 伝道地の日本では、この問題は、簡単ではない。今年作成した当教会の宣教基本方針「私たちの志」の第三項(派遣)で、われわれは次のようにうたっている。

「私たちは世にあって、世のために、教会としても、一人一人としても、その遣わされているところで、隣人を自分のように愛し、主の証人であることを志す」。

 この背景にある聖句の一つはヨハネ福音書316節。神が世を愛したように、教会も世を愛し、その課題を共に負い、イエス・キリストを世の救い主として証しする。この基本に立って、歩んで行ければと願う

 

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12月5日週録

 「神は臨在したもう。われらを祈りへと導き、畏れつつ御前に進ませたまえ。神は真中にいましたもう。われらの内なるすべてのものよ、静まれ、内奥の深みから御前に身をかがめよ。神を知る者、神を呼ぶ者、目を閉じよ。来たれ、なんじらをもう一度ゆだねよ」(ゲルハルト・テルステーゲン 1697-1769 ドイツ讃美歌集165番より )。

 本日は、待降節第2主日です。この日は昔から、救い主であるキリストの到来をおぼえながら、礼拝が捧げられてきました。第3主日は、先駆者バプテスマのヨハネが、そして第4主日には、喜びの間近に迫っていることがおぼえられます。この季節も神の平安(シャローム)があるように祈ります。

 

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11月28日週録

 1124日、尚絅学院創立129年記念式典で礼拝を担当し、そのまま奥田知志先生による記念講演をお聞きしました。困った人ほど面白い、など、刺激を受けたことです。奥田先生は、ご存じの方も多いと思いますが、牧師として(北九州、東八幡キリスト教会)お働きになると共に、炊き出し、ホームレス支援など、30年以上にわたり、地域、あるいは地域を越えて活動している方です。近著『ユダよ、帰れ コロナの時代に聖書を読む』(新教出版社)をいただき、教会図書に入れておきました。神学的には昔からボンヘッファーに関心をおもちのこと、共通の源泉から汲み出していることを知り、嬉しいことでした。

 

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11月21日週録

 角笛』43号が発行され、これを機に電話で安否を問い合い、信仰の交わりが深められていること、何人かからお聞きし、感謝です。伝道のためにも活用できると思います。執筆してくださった方々、編集の労を負ってくださった方々に、改めて感謝します。

 教会暦で今日は一年最後の主日です。また収穫感謝の行事日でもあります。今日祝福を受ける子供たちにその家庭に豊かな恵みと平安があるように!

 

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11月14日週録

 先週の永眠者記念礼拝(墓前礼拝)、皆様のご奉仕、ご協力に心から感謝します。

 11月は教会暦・行事暦が少し詰まっているようです。次週は教会暦最後の主日、収穫感謝礼拝(合同礼拝)、28日が新しい教会暦の始まり、早くもアドベント第一主日です。

 こうしたことを覚えながら、説教の聖書箇所は、ルカをつづけて取り上げる予定です。聖書の断崖にとりついたはいいものの、あまりの急峻、振り落とされそうです。ただ山登りも、おそらくそうであるように、難しければ難しいほど、登った先に何があるのか、見えるのか、ファイトが湧くことも確かですが・・・。

 

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11月7日週録

 今日は「聖徒の日」、永眠者記念礼拝です。

「私たちもまた、このように多くの証人に雲のように囲まれているのですから、すべての重荷や絡みつく罪を捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」(ヘブライ12:1 聖書協会共同訳)

『角笛』43号が発行されました。委員の方々に心から感謝します

 

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10月31日週録

 今日1031日は宗教改革記念日。1517年のこの日、すなわち万聖節の前日、ルター(1483-1546)はヴィッテンベルク城付き教会の扉に有名な「95箇条の提題」(贖宥の効力を明らかにするための討論)を貼り出し、ローマ(カトリック)教会改革ののろしが上げられた。それから150年後、1667年、ルターのお膝元、ザクセン教会において、この日を記念する礼拝がおこなわれるようになった。

 いまから振り返れば、宗教改革とは、聖書が、神の言葉が、教会の中心に据え直されたことと理解してよいと思う。いつも御言葉と共に歩む教会、またわれわれの人生でありたいと願う

 

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10月24日週録

 コロナが収まりつつあるのは嬉しい。第6波の恐れも、むろんないではない。しかしこのまま、日本だけでなく、世界で終息することを願わざるをえない。

 何事も、我慢していた分取り戻す、それもアリだろうけれど、なぜこういうことが起こって来るのか、この間どういうことが起きたのか、しっかり振り返って見ることもいま必要あろう。われわれも、何はともあれ身を守ることから、周りのことを少しずつ考えられるようになってきた。

 世界と教会の主、イエス・キリストの父なる神に、恵みと導きを心から祈り願う。

 

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10月17日週録

 総選挙(926日)後のドイツの政権づくりも大詰めを迎えたとの報道に接した。選挙に勝った社会民主党(SPD)と環境政党の緑の党と自由民主党が連立を組むらしい。このままだと政権発足は、予想よりかなり早まりそうだ。メルケルさんの引退時期も近づいたことになる。同じ敗戦国として戦後を歩んできたドイツの歩みにわれわれも関心をもたざるをえない。こうした機会に、「バルメン神学宣言」(1934)、とり分け第五項をもう一度熟読したい。とくにそこに引かれた聖句は、教会と国家の関係を考える上で、いまもわれわれの導きである。「神を畏れ、王を敬いなさい」(ペトロ一、2:17

 

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10月10日週録

 眞鍋淑郎さんが気候変動に関する業績でノーベル物理学賞を受賞されたことは喜ばしいニュースであった。テレビや新聞の範囲のことではあるが、その考え方や生き方にもいろいろ刺激を受けたことである。

 世界のキリスト教も地球環境の問題には早くから取り組んできた。平和、社会的正義、一致などと並んで「被造物の保全(インテグレーション)」は大きな祈りの課題である。しかし地球環境の悪化は深刻さを増し問題は大きくなっている。来年、カールスルーエで世界教会協議会(WCC)の第11回大会が開催されると聞いている。どのように議論は進んでいくのだろうか、注目していきたい。

 

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10月3日週録

 「主キリストによってでなければ、われわれは決して、御父の好意も恵みも知ることはないであろう。キリストは御父の心を映す鏡である」(マルティン・ルター1483-1546)。

 今週から諸集会が再開されます。まだ注意をおこたってはなりませんが、少しずつ戻していくことになります。

 説教は「ルカによる福音書」がつづきます。ルターの言葉にあるように、神の子イエスは父の心を映す鏡です。ここに神がいます。この神の語りに、神の働きに応えていく者でありたいものです。

 

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9月26日週録

 今日(26日)の日々の聖句(ローズンゲン)は詩編146:8、それを受けての新約はエフェソ1:18。それに以下の讃美歌の一節が掲げられている。

「主イエス、恵みの太陽、まことの命の光よ、あなたは、命と光と至福をもって、その恵みにより、わたしの顔を喜ばせ、わたしの霊を新しくしてくださいます。わたしを受け入れてください」。詩は、L.A.ゴッター(1661-1735)による。

 先週から会堂での礼拝が再開された。もちろんまだ制限された形でささげられる。教会の行事も十分にはおこなうことはできない。辛抱、忍耐の時。しかし人の生活は変わらない。それと同じように教会もその働きを弱めるわけにはいかない。

 年度の後半が始まった。宣教、伝道の業に、共にあずかっていきましょう。

 

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9月19日週録

 日本より一足先にドイツの総選挙が来週行われ、選挙の後、アンゲラ・メルケルさんは首相を辞め、政界も引退すると報じられている。

 メルケルが首相になったのは昔々2005年秋、私が在外研究で一年間ゲッティンゲンにいた時のことである。保守、革新共に過半数に達せず、大連立の模索の末、キリスト教民主同盟(保守)のメルケルさんに決まった。この女性初のドイツ首相が大きな期待をもって国民に迎えられたことを記憶している。実際この期待に彼女は違わなかった。

 ご承知のように長く旧東ドイツで牧師をした人の娘。その施策は基本的に福音に定位していたと言ってよいと思う。その著書『わたしの信仰』(新教出版社)を感銘深く読んだこともある。

 政治の世界、一筋縄ではいかない。蛇のように賢くなければならないであろう。しかしいつも根底になければならないのは、信教の自由(良心の自由)、政教分離がきちんと守られることである。

 

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9月12日週録

 崎野里子さん(詩人、英文学者)から、ラングストン・ヒューズ英日選詩集『友愛・自由・夢屑・霊歌』(コールサック社)をいただいた。L.ヒューズ(1902-67)について、私は何も知らないが、「祈祷会」と題された詩は少し分かるような気がした。

 

 栄光あれ! ハレルヤ!

 夜明けは近づいた!

 栄光あれ! ハレルヤ!

 夜明けは やって来る!

 アフロ系老女は小声で祈る

 エベザニー・バプテスト教会の

 最前席で

 アフロ系老女は小声で祈る

 夜明けは やって来る!

(エベザニー・バプテスト教会はアトランタにあるキング牧師の関係した教会)。

 

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9月5日週録

 今日礼拝で歌っていたはずの讃美歌466番(山路こえて)は私の忘れられない讃美歌の一つ。このメロディー、この歌詞で、そのまま讃美歌21に残してくれたことに感謝したい。

 作詞は松山夜学校(現、松山学院高校)の校長をしていた西村清雄(すがお 1871-1964)。伝道応援のため赴いた宇和島からの帰り、法華津峠を辿る道々、この詞が生まれたという。

 大洲まで五里の道のり、西村はしばしば大洲教会の会員宅に宿をとった。いま峠には大きな石碑が建ち、そこから眺める宇和海の景色は素晴らしい。「みちけわしく ゆくてとおし、こころざすかたに いつか着くらん」。

 

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8月29日週録

 ふと手にした2019年8月29日のローズンゲン(日々の聖句)の言葉にこころ惹かれた。

「父よ、私に知恵を与えてください。ほのかに光っているだけのものを、いっそう深く知るために。すべての知識を、祈りによって、あなたの栄光の賛美に奉仕するものとしてください、そして真理とならしめてください。主よ、私のこころを開いてください、私が成熟、成長し、やがて実を結ぶことができるように」(ハンナ・ヒュマー〔1910-77〕。祈りの人と呼ばれた女性。バイエルン州ゼルヴッツの「キリスト兄弟団」を夫ヴァルターとともに創設)。

 

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※8/22は佐藤牧師夏季休暇のため、週の掲載はありません。

8月15日週録

 関田寛雄先生(青山学院大学名誉教授)から近著『目はかすまず気力は失せず 講演・論考・説教』をいただいた。先生は卒寿を越えてなお現役の教役者として活躍しておられる。なんといっても書名に度肝を抜かれる(申命記34:7参照)。教会図書に入れておきました。

 コロナが急にまた拡がり始めている。心配なことが多い。気をつけてこの時を過ごしましょう。

 

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8月8日週録

 オリンピックをテレビで見るとはなしに見ている。でも、これがつづくかぎり、コロナ蔓延に本格的に取り組むことはできない。両立しない。国民の考え方の違いも、対話ではなく分断という形で、鋭い対立を生んでいる。落ち着いて地球市民としての課題(平和、環境、他)に取り組むときはいつくるのだろうか。世界の主・教会の主を証しする声を絶やしてはならない。 

 

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8月1日週録

 本日は「平和聖日」です。86日に近い日を平和聖日として覚えることは1961年広島の教会で始まったことです。62年から教団の行事日として今のようになり、他教派にも広がっています。

 先日、「黒い雨」裁判が政府の上告断念で終わったことは今後のこの問題の取り組みにとっても喜ばしいことでした。井伏鱒二は小説『黒い雨』(1966年)の中で「降って来るのは万年筆ぐらいな太さの棒のような雨であった」と書いていました。平和を願って、これを追い求めていきましょう。

 

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7月25日週録

 「しばしばわたしには、子どもであれ大人であれわたしのために執り成していてくださる人のことを思うことが、何より大いなる助けであった。わたしの人生がこんなにも守られているのは、知っている人知らない人、みんなの執り成しのお陰に違いないとわたしは信じています」(ディートリヒ・ボンヘッファー。726日の日々の聖句〔ローズンゲン〕より)。

 (北三教会は、7月25日~8月22日キリスト教学校の日です)

 

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7月18日週録

 来週から822日までを「キリスト教学校の日」とします。ただ今年は説教の聖書箇所はルカのままとし、その中で忍耐、信仰、自由などの大事な主題を、テキストの範囲で考えてみることにします。最後の822日は宮城学院の大久保直樹先生に説教していただきます。

 本格的な夏の到来です。「あなたは地のもろもろの境を定め、夏と冬とを造られた」(詩編74:17)。神と共に、教会と共に歩む平安な日々であることを祈ります。

 

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7月11日週録

 夏休みの期間(78月)、キリスト教学校の生徒さん方を迎えての礼拝は今年も少しむずかしいかも知れない。しかし私たちの教会の志として、学校と連携し伝道し、この社会の中で責任的に歩んで行く証しとして、今年も「キリスト教学校の日」を設定したいと思っています(725日、88日、15日、22日)。

 次代をになう一人一人の成長のために、伝道の前進のために、この期間、祈っていくことを願っています。

 

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7月4日週録

 新約聖書で教会を表す言葉エクレーシアの意味は「呼び集められた者たちの集い」。英語のチャーチは「主の家」。日本語では明治の初め「公会」と称したこともあったが、やがて「教会」に落ち着いた。

 その教会を楽しんでください、先週百歳を迎えられた教会員Sさんから私たちへのメッセージであった。神の御守りと平安がいつもあるように祈ります。

 

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6月27日週録

 今日、27の『日々の聖句』(ローズンゲン)は、「われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい」(詩編147:5)。対応する新約は「神はなんでもできる」(マルコ10:27)。

 ドイツ語版でこれに添えられた言葉はヨッヘン・クレッパー(1903-42)の讃美歌の一節。

「君が来るときも行くときも、神は祝福してくださる。君が何をもくろもうが神は祝福してくださる。そうしたことを君が分かっていないことも、いやしばしばまったく予感すらしていないことも、神は知っておられる」

 この夏、コロナ、オリンピックと騒々しい日々がつづく。われわれは心を静め、世界の主・教会の主にすべてを委ねて歩んでいきたい。

 

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6月20日週録

 戒能信生先生(東京・千代田教会牧師)から、上梓されたばかりの『100年前のパンデミック : 日本のキリスト教はスペイン風邪とどう向き合ったか』(富坂キリスト教センター編、新教コイノーニア36)をご恵贈いただいた。日本キリスト教史を専門とする戒能先生を中心に、短期間の調査・研究を通して書き上げられた諸論考がまとめられたものである。

 1918-20年の国内の死者は45万人を数えたといわれるスペイン風邪について、各個教会史にきちんと書かれていないケースが多く、各教派機関誌などをていねいにたどって、輪郭を明らかにしている。

 コロナ禍の中でわれわれも、何を考え、どう歩んだか、やはりきちんと残して、後世に伝えなければならない。

 

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6月13日週録

 柳父圀近先生から最近ご発表の論考の抜き刷りをいただき、とても励まされた(「無教会と京都学派---政治思想史研究の立場から」内村鑑三研究54号、20215月)。近頃の日本の、とくに政治の状況に絶望的になりがちな私に、少し引いて、もっと困難な時代を生きた先人の歩みに目を向けるように促された。そしてわれわれはどんな信仰の(あるいは神学の)系譜に立っているのか、また立つべきなのか、広い視野から、あらためて思い出させられ、また確認させられた。

 目に見える現状、それがどんなものであっても、それを越えた希望も、われわれはキリストの恵みと共にすでに与えられているのである。それを失ってはならない。

 

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6月6日週録

 先週の総会で新しい教会役員が選出されました。しかしまずは2020年度で退任された方々に心から感謝を申し上げます。礼拝休止期間など、難しい決定を迫られた2年でしたが、臨時役員会、メール審議などもふくめ、その責任を果たして下さいました。教会も少し強くなったかも知れません。きたえられた(?)。そうであったらいいと思います

 任職式はとくに行わないけれども、神によって任じられた、聖霊に導かれて遂行されるべき務めです。わたしも一緒になって教会に仕えていきます。

 

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5月30日週録

 今日は延び延びになっていた教会総会を開催できること感謝です。気持ちを新たにして2021年度を歩み出したいと思います。

 こうしたとき教会員のKさんが亡くなったこと、本当に残念でなりません。最後まで教会を愛し、会堂の行く末を心配しておられた兄弟の思いに応えて、責任をもって教会の形成をになう者たちでありたいと願うものです。

 

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5月23日週録

 説教の予定を変更します。530日(三位一体主日)から旧約を連続して取り上げる予定でしたが(エリヤとエリシャ)、会堂礼拝が再開されたばかりで落ち着かず、これを9月以降に延ばします。それまでは、教会暦ないし行事暦などを除いて、今までどおりルカによる福音書を基本とします。

 誕生物語、受難史と取り上げたので、全体像が少しずつ見えてきています。この向こうに何が見えるのだろう、そんな気持ちで、毎回困難な壁をよじ登っています。

 

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5月16日週録

 会堂での礼拝がようやく再開されます。仙台の感染者数は減りつつありますが、まだ全く油断はできません。声を出さないところを増やすなど、対策を少し強化します。ご理解をお願いします。

 礼拝休止の期間教会のために祈り、土曜午後の週報発送など、ご奉仕くださったこと感謝いたします。そのため多くの方から切手や書き損じ葉書などいただきました。これも感謝のことでした

 

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5月9日週録

 教会の白いつつじが見事に咲き始め、来週からの会堂礼拝の再開を待っているようです。集い、語り合うことがいかに大切か、痛感させられたここ数週間でした。

 説教者としてもむずかしい期間でした。説教は対話という側面をもっています。聖書を介して語り合うということです。しかも〈一〉対〈多〉ではなくて、〈一〉対〈一〉の対話です。その意味で説教は牧会の始まりでもあるのです。この当たり前のことが、対面の礼拝で戻ってくることを期待しています。感染対策を怠らずに、教会生活を回復し、いっそう充実させていきたいと願っています。

 

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5月2日週録

 先週NHKの番組(BS世界のドキュメンタリー)で「ローマ教皇とヒトラー/ピウス12秘蔵のファイル」を見た。ピウス12世(1876-1958、在位1939-58、本名パチェリ)がナチ政権のユダヤ人迫害とどう関わったか、これは戦後ずっと問題になっていたことだが、昨年から現教皇フランシスコのもとで秘蔵資料の開示が始まった。これからどういうことが明らかになるか興味深い。

 この時代のプロテスタント教会についても多くの研究が積み重ねられて来た。こうした研究や教会の努力をへて、いまユダヤ教とキリスト教の関係は兄と弟のように深まりつつある。喜ばしいことである。

 

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4月25日週録

 今日は復活後第三主日。この日のローズンゲン(日々の聖句)は、「この方こそ神、代々とこしえに我らの神。神は、死を越えて、私たちを導かれる」(詩編48:15)。 対応する新約は、「あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています」(フィリピ1:6)〔いずれも聖書協会共同訳〕。

 コロナのため会堂の礼拝も休止を余儀なくされている今、われわれの中に善い業が始まっていること、それがやがて完成に導かれることを確信し、こうした時も、互いに励まし、慰め合って、信仰生活、その徹底を期すことを祈りたい。

 

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4月18日週録

 コロナの出口がなかなか見えない。もちろんワクチンをはじめ、遅ればせながらも様々な手が打たれ、戦いは進行中である。われわれも、できることは協力して、死の力の行進に抵抗する。

「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり」。主の祈りの6番目の祈り、神のご支配をたたえる頌栄句、いつにも増してわれわれは、力を込めて、アーメントと唱える。

 

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4月11日週録

 今後の説教の予定をお知らせします。

 418日~523日(聖霊降臨日)まで(6回)、受難節以前に取り組んでいたイエスのガリラヤ伝道に戻ります(ルカによる福音書)。

 530日(三位一体主日)から、列王記上下で預言者エリヤとエリシャ物語を連続で取り上げます。何回になるかは未定。

 今年も旧約の高い山に取り組みます。何とか皆さん一緒に登っていきませんか。

 

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4月4日週録

 今日は復活祭、イースターです。今年も、会堂礼拝の休止期間に復活祭を迎えたこと、残念です。週報、説教プリントなどを手がかりに、それぞれ家での礼拝に切り替えて過ごしたいと思います。

 今年は(たぶん久しぶりに)54年版讃美歌496番(うるわしの白百合)を歌う予定にしていたので、これは持ち越しです。讃美歌略解などを見ると、世界的には有名ではなく、日本の教会だけに生き残った歌のようです。ガラパゴス系でも(いや、だからこそ)歌い継ぎたいものです。

 

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3月28日週録

 年度内2回目の会堂礼拝の中止となった。状況の変化を、忍耐して待ちたいと思う。

 昨年の学びの会で「日々の聖句」(ローズンゲン)の生まれた経緯を少し学んだが、それを思い出し、それぞれ違ったところにあっても、時間が別であっても、同じ聖書を読み、そして祈る信仰の連帯を証ししたい。

 

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3月21日週録

 年度末を迎えている。コロナ禍にあっても、卒業あり、入学あり、あるいは就職も退職も、あるいは転職などもある。どれほど大変なことか、とくに教会員のご関係の方に力と慰めを祈ります。

 われわれのところで2回説教奉仕をしてくださった竹花牧人さんは4月から阿久根伝道所(鹿児島県)に、また昨年来ていただいた佐々木栄悦さんも登米教会に赴任するとのお知らせをいただいた。お二人とも東北学院キリスト教学科のご出身なので、私としても大いにがんばっていただきたいと願っている。

 

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 3月14日週録

 今週から週日の集会を再開することになります。まだ安全とは言えませんので、ご無理はくれぐれもなさらないようにお願いします。密を避け、換気に注意し、長い時間に及ばないようにしたいと思います。その上で、聖書に取り組み、ともに祈りたい。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)。

 

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 3月7日週録

 神学者バルトの研究をしておられる旧知の宇都宮輝夫さん(北大名誉教授)から近著『カール・バルト研究 : 絶対的逆説を指す神学』をいただいた。19世紀の神学との対比でバルト神学の特質を正面から取り扱い、その意義を明らかにしている。

 拾い読みをしながら、ふっと気づいたら、今年202122年は、バルトの金字塔的著作『ローマ書』(第二版)の出版から百年の節目の年であった〔1921年クリスマスに1922年の日付を付して刊行〕。じっくり再読するのに、こんな良い年はない。百年前、第一次大戦後、キリスト教の何が問題になり、この百年、それがどのように変化し、どこへ行こうとしているのか。すでに興味は尽きない。

 一気に一人で読むような本ではない。コロナに目途がついたら、どなたか一緒に読みませんか(邦訳で)。コツコツ読むことで、ぼぉーと過ぎていく時間にあらがいたい。

 

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2月28日週録

 先日、政教分離を巡る最高裁判決(大法廷)があった。新聞、その他で知った方も多いと思う。

 那覇市が管理する公園内に8年前開設された「孔子廟」が宗教施設かどうか、したがって使用料を免除してきたことが憲法(2087条)の定める政教分離に反しないかどうかが争われた。判決は違憲。宗教と文化的な習慣との区別はつきにくいが、今回はきわめて丁寧な実態調査の上に立って判断が下されたようである。われわれにとっても望ましい結論で、とりあえず良かったと思う。

 政教分離は、できるだけ厳密に考えてもらわなければならない。そうでないと、結局、現状での多数意見が支配してしまうことになるからだ。

 

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2月21日週録

 仙台でもワクチン接種の始まったことを一昨日のニュースで知った。コロナの問題は新しい段階に入りつつある。感染拡大防止のための対策をゆるめることはできないが、回復へと、少しずつ気持ちを切り替えて、教会生活をもとの軌道に戻す努力も始めなければならない。

 少し前はウィズ・コロナとか、近頃ではコロナに打ち勝った証しとか、いずれにしても勇ましい言葉が飛び交っているけれど、被造世界の調和がほかならぬ人間によって壊されつづけているのではないか、文明史的考察と反省が不可欠である。

 

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2月14日週録

 先週、オンラインで開催された2.11集会をパソコンで視聴した。近年目に余る「国家の公平・公正を危うくする法の恣意的解釈」を巡る郷原信郎さんの話を聞く。こういう形ででも開催を準備してくださった方々に感謝したい。

 教会には預言者的な見張りの務めが託されている。信教の自由・良心の自由は人間のあらゆる自由の根本にあるものである。それが正しく保たれているか、関心を怠らないように、祈りを絶やさないようにしたい。

 

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2月7日週録

 週報でも報告した通り、教会の諸集会は、37日まで、現在と同じく早朝と10時の礼拝を維持し、その他は休会とすることとした。昨年はコロナのため復活節44の礼拝も休止せざるをえなかった。今年は今のところ大丈夫のように思う。それを願っている。対策をとりながら礼拝を変わらず献げることのできることは感謝である。

 コロナに振り回され、コロナにあぶり出されて露呈しつつあるこの国の低落ぶりに心痛める毎日である。われわれも責任なしとは言えない。聖書の真理によってわれわれの生きるべき「線と方向」を明らかにし続けたい。

 

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1月31日週録

 ちょうどいま説教で、期せずして、ガリラヤのイエスに向き合う日々がつづいている。

 いつも頭をよぎるのはブルームハルト父子のことである。ご存じない方が多いと思うが、19世紀中葉から20世紀初頭にかけて西南ドイツで活躍した牧師、神学者。父ブルームハルトの癒やしから始まり、子ブルームハルトの神の国の宣教につづいていく。若きバルトも深い影響を受けた。

 残された膨大な聖書講話、簡単に読めれば、どんなによいことだろう。資料を前にため息ばかりついて何年もたってしまった。

 

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1月24日週録

 昨年後半に頂戴した本の中から二冊ご紹介しておきます。

 一つは、今高義也さんの『内村鑑三の世界像:伝統・信仰・詩歌』です。著者は宮城学院で教鞭をとるすぐれた日本思想史の研究家。八木重吉の研究などでも知られています。古今東西の詩歌等のテキストに遺された内村の書き込みを丁寧に分析し、内村の内面、実像に迫ります。今年は内村生誕160年です。

 もう一つは、武田武長さんの『ただ一つの契約の弧のもとで:ユダヤ人問題の神学的省察』。著者のライフワークのご出版、慶賀にたえません。キリスト教会に巣くう反ユダヤ主義の致命的神学的誤謬を鋭く指摘します。日本の教会がよく考えてこなかった、いまも課題としてつづいている問題です。私も基本的に同じ考えです。講壇でダビデ、アブラハムと取り上げてきたのも、このことと無関係ではありません。

 

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1月17日週録

 「正気であること」というような言葉で時々に私はわれわれの在るべき、取るべき態度を言うことがある。正気とは気が確かなこと、通常の意識。聖書にも多くはないけれど使われている。

 イエスによって癒やされた一人のゲラサの人がこう描かれる。「レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て・・・」(マルコ5:15)。悪霊によって正気は失われ、神によって正気は取り戻された。その意味で正気を「思慮の霊」(Ⅱテモテ1:7)として理解するのがよいと思う(もとの言葉も類似)。

 神を神とし、主としたときはじめて人は健全な落ち着いた理性に生きることができる。コロナ禍の出口がなかなか見えない中、教会も怠りなく注意しながら、社会と連帯し、一日も早い終息を祈りたい。「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる」(詩編23:3)。

 

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1月10日週録

 年末にも会員の逝去がありわれわれの心も萎えそうである。間接的にはコロナが影響しているのではないだろうか。大きなストレスがわれわれにかかっている。気を落ち着け、しっかりした予防策を講じ、この時を過ごしたい。

 2007年度に本教会の代務者をしていただいた平井孝次郎先生が1227日に亡くなった。石巻山城町教会で行われた密葬に川村執事と出席した。前奏、後奏ともクリスマスの曲であったことが、とても印象深く、葬儀が明るいものとなった。教会の無牧時代を支えていただいたこと、感謝である。平井先生は60歳になってから、家業をご子息にゆずり、東北学院キリスト教学科に学ばれた。そんな関係もあって、何かとお付き合いいただいた。温厚なお人柄を思い出している。

 

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2021年1月3日週録

 『日々の聖句』(ローズンゲン)による今年の「年の聖句」は、ルカによる福音書636節、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」。

 年の聖句は、カトリック教会も加わっているローズンゲンの委員会が、3年前に決定していたもの。父なる神は憐れみ深いとは、コロナ禍の中にあるわれわれへの慰めであり、憐れみ深い者となれとは、他人との共感を失いつつあるわれわれに対する戒めである。われわれに相応しい必要な御言葉。これを導きとしてこの年も歩んでいきましょう。

 

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12月27日週録

 年明け、来週以降の説教の予定箇所を記しておきます。

 1月は降誕後主日、顕現節と続きます。この間、ルカによる福音書3章以下のイエスのガリラヤ伝道を取り上げます。

 211日(水)から約一ヶ月半の受難節に入ります。その間は、昨年の続きで、同じくルカによる福音書の受難史を取り上げます。

 今年は2214節「主の晩餐」からです。44日がイースターです。

 その後、再び、イエスのガリラヤ伝道に戻り、530日から始まる三位一体主日の間はダビデ(19年)、アブラハム(20年)に続いて、旧約聖書の連続説教に取り組みます。聖書箇所は未定です。

 

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12月20日週録

 今年はホワイト・クリスマス(雪景色の中のクリスマス)になった。でもあまり降りすぎてほしくない、お手柔らかに願いたいところである。

 新しい友を加えられたこと、まことに感謝。この洗礼と共に教会も、そしてわれわれも、もう一度新しくされて前進したいと思う。

 

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12月13日週録

 全説教の二冊目『主はわたしの牧者』ができました。ご活用していただきたい。伝道のためにも自由に使ってくださって結構です。

 私自身は、とくにダビデの生涯など、通して読めることを楽しみにしています。一回一回、その日の説教が何とか無事に終わって欲しいとだけ願っていたので、全体としてどういうダビデ像が描かれていたのか、自分でも分からなかったからです。

 口絵にレンブラント(1606-69)の銅版画「ダビデの祈り」を使いました。1652年に制作されたもので、現在はアムステルダム国立美術館版画室に所蔵されているようです。もとの大きさは14.3×9.3 cm、原寸大で印刷してもらいました。

 

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12月6日週録

 諸行事がコロナのため軒並み中止になる中、今年もクリスマス・リースをつくって下さったこと、感謝である(※)。季節感がにぶり、生活の落ち着きも失いがちだが、これもわれわれが正気になるための一つの手がかり。赤いりんごは罪を象徴するらしい。その贖い主としてキリストは世に来られる。 

※この日、教会の有志で作成したクリスマス・リースが十数点販売されました。

 

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11月29日週録

 「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。わたしはアルファであり、オメガである」(黙示録1:8

 ――フランクフルトの、ドイツでも最も規模の大きいクリスマス・マーケット中止のニュースが、少し前にあったと記憶しているが、いよいよアドベント、それでも開催しているところはあるのだろうか。あるなら無事になされることを願わざるをえない われわれも今年の待降節の集会を取りやめたけれど、この季節がクリスマスに備える時であることに変わりはない。ひじょうに制限された状況の中ではあるが、思いを集めてできるかぎりの準備をしたい。

 アドベントはまた、やがて来られる方、新しいエルサレムの主の到来を待ち望むときでもある。ともし火だけでなく、燃やし続ける油も用意して(マタイ25章)、この時を過ごしたい。アドベントは教会の暦でいえば、一足お先の新年の始まりでもある。

 

 

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11月22日週録

 晩秋、少し暖かく(20日)、何かありがたい。木々の最後の黄金(きん)の輝きを楽しみたいものだ。

 教団の行事歴で今日は「収穫感謝日」「謝恩日」。人間の世界はコロナのため混乱をきわめているけれど、自然の実りが豊かに与えられ、われわれの心も体も主なる神に支えられていること、感謝である。旧約の昔から収穫感謝の日があり、アメリカに渡った最初の清教徒たちの故事も思い起こす(サンクス・ギビング・デー、11月第4木曜日)。「どんなことにも感謝!」。

 われわれの日々の生活のために、どれほど多くの人の、どれほど多くのもののお陰をこうむっていることであろうか。突き詰めれば、それはむろん神の恵みである。そしてそれを分かち合うことも、感謝することの中に含まれている。

 

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11月15日週録

 創世記によるアブラハムの説教は今日で終わります。

 聖書にはこう書いてあるけれど、いまわれわれが聞く神の言葉としてどのように語られるべきか、いつも崖っぷちに立っているような、苦しい日々でしたが、皆さんに支えられて何とかここまで来られたこと、ただ感謝の一言です。「三位一体主日」の期間中これに取り組んできたので教会暦を意識することが今年は少なかったように思います。

 11月は教会暦の終わりです。救い、世界審判、永遠の国など、終末に関わることが、恵みと希望として語られるべき季節です(「時は縮れり」。Ⅰコリント7:29)。それからアドベント(待降節)が来ます。新しい一年が始まることになります。

 

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11月8日週録

 先週の聖徒の日、永眠者記念礼拝、そして墓前礼拝・納骨式と、今年も皆さんのご協力のもとに行うことができたこと、心から感謝します。

 コロナの影響で、皆さんに来ていただくことは、少し制限せざるをえませんでしたが、それでも関係の方が何人も来会されました。東京から来て下さった原良三牧師のご子息たちとも話しをすることができました。昔の牧師館と、そこでの生活のことなど、興味深い思い出も伺いました。

 墓前礼拝・納骨式のあと、何名かの墓前にも詣でました。天気にも恵まれた秋の一日でした。

 

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11月1日週録

「われらは弱くあれど、教会は聖徒の群れ、主によりひとつとなる、ハレルヤ、ハレルヤ」(讃美歌21、379番)

今日は「聖徒の日」。天上会員と地上会員が共に礼拝を捧げます。

 

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10月25日週録

 今週末1031日は宗教改革記念日である。

 いまはエキュメニカルな時代(カトリック、プロテスタントを問わず諸教会の再一致を目ざす時代)とはいえ、「宗教改革」のことを忘れないようにしたい。ルターやカルヴァンなど改革者の働き、その労苦もさることながら、そこにわれわれは歴史における神のみわざを見てとるからである。「源泉に〔返れ〕!」(アド・フォンテス)がその精神。源泉とはわれわれにとって聖書である。

 聖書にたえず立ち返り、神の言葉に立ち、そこから歩み出す、それをわれわれプロテスタント教会は目ざす。

 

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10月18日週録

 最近いただいた本、二つ紹介しておきたい。

 一つは『キリスト教的ヒューマニスト/栗原基の生涯』(伊丹信祐著)。栗原基(18761967)はご承知のように尚絅のブゼルさんの聖書研究会の中心メンバーの一人。後に英文学者として活躍した。『ブゼル先生伝』の著者でもある。基の全体像が分かりやすく書かれている。

 もう一つは、福島県石川町でニューライフカレッジを主宰し、多くの子供たちの教育に取り組んできた桜井淳司さん(1940~)の自分史『夢を抱きて荒野をゆく』。桜井さんのルーツは大洲で、曾祖父は大洲教会の創立者。そんな関係もあって、私も何かと知遇を得てきた。

 二冊とも小著ながら啓発されるところが多い。教会図書に入れておきました。

 

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10月11日週録

 説教で創世記を取り上げており、この頃旧約聖書に触れる機会が多くなっている。

 説教を受けての祈祷会(水曜日)で、また聖書を読む会でも(今は旧約)、しばしば話題になるのは、いわゆる家父長制の中での男女の問題である。とくに女性の位置づけ、その見方が、今の時代から見てなかなか理解しにくい。

 時代的、あるいは地域的な制約を考慮した上で、どのように普遍的意味を読み取っていくべきか、私も答えをもっているわけではない。問いつづけていきたいと思う。

 

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10月4日週録

 会員逝去の報を2週つづけて聞くことになり、残念でならない。

 Oさんは70年代に転勤で仙台に来られ、仕事で離仙された数年を除いて、ずっと私たちの教会員として過ごされた。歴代の牧師、また会員と共に、ほとんどを役員として、教会に仕えられた。最後に礼拝にお見えになったのは6月14日であった。与えられた賜物をもやし尽くされた。

 私はここ2年の交わりにすぎないけれど、実直なお人柄に信仰者の原像を見る思いであった。

 ご夫人をはじめ、ご家族皆さまの上に慰めを祈ります。

 

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9月27日週録

 先々週、教会員のRさんが97歳で召された。コロナにも配慮しながらの葬儀であったが、何人もの方がお別れに来てくださった。

 教会の刷り物に書き残したものを、この機会に読ませてもらった。1923年(大正12年)のお生まれで、小学校時代に、友達に誘われ、クリスマスにはじめて教会に来たと書いておられる。大正の終わりから昭和の初め、教会の草創期、北星キリスト教会として盛んに伝道していたころのことである。

 八十年史をひもとくと、1932年には北星幼稚園も開園し、活発な教会の様子がうかがわれる。そこにRさんもおられた。ご遺族の上に慰めと平安を祈ります。

 

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9月20日週録

 かつて東北教区でお働きになり塩釜東教会も牧された野村忠規先生が79歳で逝去されたことをお聞きし、驚くとともに、心から哀悼の思いを禁じえない。野村牧師のもとで直接信徒であったことはなかったが、先生が仙台を離れ、四国教区(松山)、関東教区(東松山)と晩年まで奉仕されるあいだ、先輩同労としていろいろお付き合いいただいた。松山城東教会時代には何回か説教や講演に呼んでいただいたこともある。

 信子夫人のお手紙を私も読ませていただいて、病床の先生の、小さい声でもらされたといういくつかの言葉が、こころに残った。

「今が一番幸せだ」

「自分の人生をふり返ることができた」

「こんな者をよく牧師として用いてくださった」「このベッドの下に主がいてわたしを支えてくださっている」

 ご家族の皆さんに主の慰めを祈ります。

 

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9月13日週録

 先週から配餐をしない形での聖餐式を開始した。感染にかかわる心配はまったくないので、当分この方式をつづけることになる。皆さんからも受け入れていただいたようだ。

 聖餐式を中心にもつ教会であることを改めて自覚する機会ともなった。教会についてのもっとも古典的な理解はこうである。

「それは、全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典〔サクラメント。洗礼と聖餐のこと〕が福音にしたがって与えられる」(アウクスブルク信仰告白、第7条、1530年)。

 この基本に立ち返って、キリストを証しし、宣教のわざに共にあずかりたい。

 

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9月6日週録

 説教のテキストは今日から再び創世記、アブラハム物語です。111日の聖徒の日(永眠者記念礼拝)を除き、11月末、アドベントの前までつづきます。

「信仰に生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています」(ガラテヤ39)という聖句に導かれて「信仰に生きる」とはどういうことか、それを「信仰の人」に少しでも学びたいと思っています。

 

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8月30日週録

 早朝、佐藤ひろみさん10時佐々木栄悦先生、説教のご担当を感謝します。コロナで翻弄された日々でしたが、今年度前半のよい締めくくりがなされたことです。

 9月から、年度後半、コロナ終息の見通しはまだですが、「正しく恐れつつ」教会の歩みを進めていきます。来週は、実際の配餐をともなわない形の聖餐式を予定しています。これからのことは、役員会で更に協議していきます。

 

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8月26日週録

 先日盛谷祐三牧師(広島)からお電話をいただいた。盛谷先生には、私の最初の任地で同じ地区(愛媛、南予分区)の先輩としてずいぶんお世話になった。

 カトリックの勉強会でハンス・キュンクを読んでいて、ものすごく刺激を受けているとのこと。電話で聞いているだけで、こちらも刺激を受けた。

 キュンクはバルトの影響を受けた現役最長老のカトリックの神学者。本が出たら仙台でも教派を越えて仲間と読みたいと思ったが、やっぱり集まるのは無理かと考えたら、とたんにがっくりしてしまった。

 

※先週までの週録は「過去の週録」からどうぞ

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8月16日週録

 「聖餐式は当分のあいだ行わない」――コロナ禍にあって一種の常套句のようになっていたけれど、やはり聖餐式をやりたい、という切実な声が8月の役員会で上った。できないことを当たり前のように思い、大事なことがなおざりになっていたかも知れない。カトリックはミサを再開したと聞いている。われわれはどうすれば可能なのか。心配を押してやることはできないけれど、欧米の教会の様子など材料を集めて、少し研究してみたい。

 重要なのは、私どもの教会が、説教とサクラメント(洗礼と聖餐)、この二つを中心にしていることである。それを自覚して、礼拝の在り方を整えていきたいと思う。どうやるか、いつやるか、しばらくやらないか、それはその次の問題である。

 

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8月9日週録

 市内の多くの学校がようやく夏休みに入った。例年、この期間、キリスト教学校の日と定めて礼拝をしてきたが、今年は積極的な形では行うことができない。それでも、8月は、キリスト教学校の働きのために祈る、そこで学ぶ若い方々、教職員のために祈る月間としたいとおもう。教会にだれもがふらっと立ち寄れるような時が、一日も早く来るように願わざるをえない。 

 

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8月2日週録

 会堂礼拝を再開してから皆さんで読み出したネヘミヤ記を先週読み終えた(木曜日、聖書を読む会)。ただ読むだけだけれど、それが面白い。

 聖句の発見もあった。

「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(8:10

 城壁が完成し感謝をささげた礼拝で、ネヘミヤとエズラの語った言葉である。紀元前445年頃。

 今週からエステル記、そしてヨブ記へとつづきます。

 

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7月26日週録 

 急な入院でご心配をおかけしましたが、予定通り3泊4日で戻ってきました。この間のお祈り、お支え、こころから感謝します。ともかく早く帰れたこと、感謝しています。

 帰宅後メールを開いたら、倉松功先生(元東北学院大学長、院長)が91歳で亡くなったとの知らせが教区事務所から届いていて、驚きました。信濃町教会の先輩教職であり、広瀬河畔教会でも20年ご一緒しました。

 先生はルター、私はバルトと、かなり違う神学者の研究をしてきましたが、日本伝道と教育にかける熱情にはいつも教えられていました。バルトの側から言えば、戦後まもなくの頃、「バルメン神学宣言」の最初期の研究に先生が取り組まれたことは、いつまでも記憶されることでしょう。

 

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7月19日週録 

 「正しく恐れ、行動する必要がある」(小田泰子さん、河北新報7/8)。

 収まりかけたと思われたコロナ感染がふたたび拡大しつつある。教会の活動も、私たちの毎日の生活も注意を怠らないようにしたい。

 教会の働き(ミニストリー)の全体はしばしば三つの言葉で表される。「宣教、交わり、奉仕」。「宣教」は伝道、証しのこと。「交わり」は聖霊における人と人とのつきあい、そして「奉仕」は神への奉仕としての世と人への奉仕のことである。コロナで活動の縮小を余儀なくされていても、この三つに表される教会の実質を保持するよう心がけたいと思う。

 8月の講壇は、第1週は平和聖日。第2から4週まで、キリスト教学校他を考慮して、十戒、使徒信条、主の祈りを取りあげ、キリスト教の基本を確認する予定。アブラハム(創世記)は9月から再開。

 

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7月12日週録

 今日の讃美歌の一つ、472番はナチ・ドイツ治下ベルリンで生きた作家で詩人ヨッヘン・クレッパー(1903-1942)の詩によるものです。

 妻がユダヤ人女性であったため、自らも不当な迫害をこうむる中、家庭と妻子を守り、ついに妻と子、三人で自死するにいたった人です。いずれも深い信仰に裏打ちされた30編あまりの讃美歌を残しています。

 472番の朝の歌も「私」という言葉が心に響きます。クリスマスの歌が有名で243273も彼のものです。日記抄『みつばさのかげに』(教団出版局)。宮田光雄先生の簡要な評伝あり(聖書の信仰Ⅶ)。

 

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7月5日週録

 「聖書研究と祈祷会」と「聖書を読む会」、注意しながらの再開となった。毎週のこれらの集まりがどんなに貴重なものか、中断と再開をへて、あらためて感じているところである。

 祈祷会はその週の説教をもう一度受けとめる、聖書を読む会は予め定められた箇所にみんなで取り組む、どちらも聖書に深く聴くことを願っての会。

 聖書を知っているということはもう一つの世界を知っているということ。もう一つの世界を知ることが、われわれのいまのこの生活をどんなに豊かで確かなものとしていることだろう。その恩恵にわれわれは知らず識らずあずかっているのである。

 

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6月28日週録

 先日、陸前古川教会に関純一牧師を訪ね、久しぶりに四方山話をした。

 関牧師とは、今から25年ぐらい前になるだろうか、信濃町教会で一緒に奉仕した同労である。教会が、付属幼稚園もろとも、世に仕える教会としてしっかり形成されているのを見せてもらった。

 教会だけでなく、牧師も孤立しがちな時代だが、互いに助け合いながら歩みたいとの思いを強くした。

 

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6月21日週録

 教会員の方が92歳で亡くなった。彼女が信仰五十年を前にして書かれたものを昨日読み返した。

「その間、大勢の方々との出会い、そして別れがありましたが、私のために、私の信仰を育てて下さった多くの方々に感謝をしたいと思います」。

 心からの感謝をもってお見送りしたいと思う。

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6月14日週録

 およそ二ヶ月ぶりの会堂での礼拝が先週から始まった。早朝そして10時と、皆さんお元気に集まってくださった。感謝のことである。距離をとって着席できるよう「案内係」と書かれた目印を首から下げて声をかけてくださったり、心をくだき、思いを一つにして礼拝がつくり上げられた。忘れがたい日曜日となった。

 

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6月7日週録

 牧師室から谷をはさんですぐ向こうに見える尚絅学院(中高)のグランドからも、生徒さんの声がようやく聞こえてくるようになった。何はともあれ喜ばしい。

 われわれも今日から、さまざまな対策をとりながら、礼拝をはじめとして、教会活動を再開することになる。何事も今までと同じように行うことはできないかも知れないが、宣教という教会の基本の務めに、皆さんと共に忠実に取り組みたいと思う。

 説教は11月末までアブラハムを取りあげる(ただし7月末から8月中旬を除く)。

 

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5月31日週録

 麦秋(ばくしゅう。麦の秋)は夏の季語です。昔、最初の任地(四国)で暮らしていたころ、松山市の郊外で、この時期実っている麦畑をはじめて見ました。黄金色というのでしょうか、あわあわとした不思議な光景に見入ってしまったことを覚えています。

 今日は聖霊降臨日。もともとイスラエルの大麦の刈り入れの祭りから来たものです(出エジプト23:16)。キリスト教の祭日では一番自然のサイクルに沿ったものと言ってよいかもしれません。聖霊による画期、それが趣旨です。

 今年はここまで季節の移り変わりに心を向ける余裕もなく来てしまいました。気がついたらもう夏。

 来週から、会堂礼拝、教会活動が再開されます。

 

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5月24日週録

 教会に集って礼拝をする、話をすることが、われわれにとってどんなに大切か、悟らされる今日この頃です。先日の新聞にも、集まれないことで、カトリック、プロテスタント、それにイスラムなど、宗教界も苦闘しているとの記事が出ていました。

 ボンヘッファーが名著『共に生きる生活』(1939)で「共に生きる生活」を支え、豊かにするのは「ひとりでいる日」だと書いて、交わりと孤独、言葉と沈黙の深い関係を明らかにしていることはよく知られています。しかしそれも共に生きる生活が神の民の本来の姿であることを前提してのことです。

 6月7日から会堂での礼拝が始まります。そのため次週日曜日役員会を開きます。再開のために、また皆さんの平安のために、なおお祈りください。

 

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5月17日週録

 少し先が見えてきたようにも思われるが、一日も早く通常の形に戻れることを願っている。礼拝など、どのような形で再開すべきか、事前に役員会で話し合い、お知らせしたいと思っている。

 この間それぞれの場所での小礼拝のため説教の音声とプリントをお配りしている。しばらくのご辛抱をお願いします。聖書を開いて音声をお聞きになるなり、印刷を読むなりしていただければ幸いです。

 説教を「読む」ことも、いいことだと思う。昔、私も、説教集を毎日一編ずつ読んでいた時期があった。聖書のメッセージもさることながら、なるほど聖書は(長い歴史の中で)こう読まれてきたのか、こう読むのか、つまり聖書の「読み方」を教えてもらった気がする。

 音声とプリントは、今日を含めあと三回。効用もなくはなかったかも知れない。

 

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5月10日週録

 ETV特集「義男さんと憲法誕生」(52NHK教育)はとても面白かった。ごらんになった方もおられると思う。

 仙台にゆかりの鈴木義男(通称ギダンさん、1894-1963)が取りあげられた。学者から政治家へ、さらに弁護士、教育者としても活躍した人。日本国憲法、とくに第9条の平和主義、さらに第25条「国民の生存権、国の社会保障的義務」の制定に主導的役割を果たした。背景には、キリスト教信仰があった。

 このコロナ禍の中にあって、人権そのものとしての国民の生存権に基づく行き届いた対策が、国には求められる。

 われわれの礼拝の再開は67日。説教は創世記12章。アブラハムと共にわれわれも再出発したいと願っている。

 

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5月3日週録

 礼拝の休止を5月末まで延長することにした(29日役員会)。再開は6月からになる。この間、あせる気持ちを抑えて、教会も、また個人も、やれることをやるしかないと思う。

 まだ早いけれどノアの箱舟の「出口戦略」はどうなっていたのか、改めて読んでみた。

「四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏(からす)を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした」(創世記8:6-7

 今は「出たり入ったり」の時かも知れない。箱舟を出てノアは真っ先に主のために祭壇を築いたと、その先に書いてある。それが待ち遠しい。主の守りと平安を祈ります。

 

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4月26日週録

 先日、ヴォルフガング・フーバーさん(元ドイツ福音主義教会監督・総会議長。ハイデルベルク名誉教授)の短いインタビュー記事「ウィルスはわれわれから責任ある対応を求めている」を読み(ドイツ教会ホームページ)、この状況でのわれわれの基本のスタンスを教えられた。

 教会がこの問題で社会と連帯的であること、またわれわれがインターネットなどを通じて新しい形式を見いだしていくべきことなど、示唆されることがあった。

 今のところわれわれのホームページに掲載できないので、印刷物として今週週報等と一緒に皆さんにもお送りします。どうぞ参考にしてください。

 

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4月19日週録

 12日の午後、教会墓地を3人(私、川村さん、家内)で訪れ、簡単な墓前礼拝をおこなった。8日には川村さん、古仲さんらが掃除をしてくださった。新しい墓誌が左側をさえぎり、墓地全体は広々と見えた。例年イースターの午後は近くに他教会、他教会員も来ていて、周辺は混み合うのだが、今年は閑散としていた。

 墓園通路の土手に黄色の水仙が咲いていた。一方教会では牧師館前の庭に教会学校で植えたチューリップも咲き始めた。

 なるほど自然の時間は確実に進んでいる。しかし人間の文明は苦しみの最中である。苦しみもグローバルになった。一つの国だけで幸福を追求する時代ではなく、すべての国が苦しみを共にする時代である。こうした時、聖書の人間観、神に造られた存在として一人ひとりを大切にする聖書の人間観が輝きを増さねばならない。

 今後の説教予定。

 531日の聖霊降臨日まで、教会暦に従いながら「使徒書簡」を取りあげる。67日から創世記12章以下、信仰の父祖アブラハムの生涯を連続して(1718回)講解する予定。

 

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4月12日週録

 会堂での礼拝を中止せざるをえないことは、痛恨のきわみです。教会の歴史の中で戦争中の一時期、そうした止むをえない中断はあったようですが、その時以来のことです。

 役員会で、教団の注意喚起、他教会の様子、われわれの教会の現状など、多方面から議論して決めました。教会で感染があってはならないという一心からです。ご理解をお願いします。

 この期間、週報と説教を配布します。説教はホームページで音声でも聞けます。皆さんにおかれては、できるだけ日曜日時間をとって(週日の自由な時間に)聖書を開き、祈る時をもっていただきたいと思います。

 今こそみ言葉と祈りの連帯の力を発揮したいのです。

 牧師面談日を含め、教会の働きは維持されています。

 

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会員の皆様へ (2020/4/12)

 主の平安を祈ります。

 いよいよ今日、4月12日(日)から5月3日まで、会堂礼拝を中止し、形を変えた礼拝となります。5月10日再開予定。「週録」にも書いたように、役員会で、真摯に話し合った結果得た結論です。神の御心と信じ、この時をすごしたいと思います。

 この間は、週報と説教を配布しますので、これによって各自、ご自宅、あるいは自室で(自由な時間に)礼拝をささげてください(聖書箇所を読み、説教を聞く、ないし読む、そして祈る)。週報と説教発送は土曜日になりますので、聖書は次週予告のところを参照してください。説教は、どうしても月曜日に着きます。ホームページでは、土曜日のうちに、音声・説教をアップしますので、それを利用できる方は、お試しください。

 なおそれ以外の教会の機能は維持されています。面談日(水、木午後)も当面そのままにします。何かあれば、牧師、または執事の川村さんに、お尋ねください。どうぞよろしくお願いいたします。   

2020年4月12日

北三番丁教会 牧師 佐藤司郎

執事 川村和栄